映画『ラブバトル』公式サイト

映画『ラブバトル』公式サイト

Interview監督インタビュー

本作の製作のきっかけを教えてください。まず何について書きたいと思われたのですか?

はっきりとしたものはないんだ。セザンヌのThe Love Battleという絵があってね。海や雲を背景に4組のカップルがほぼ全裸でくんずほぐれつしていて、そのそばに黒い犬がいる、という絵なんだけど、その複製を切り離して、机の上に貼ってみたんだ。それを眺めながら考えた。そこから得られるものを書かなければと思った。次に頭に浮かんだのが、カフカが書いた、毎夜尋ねてきては闘いを挑み無言で去っていく隣人のこと。それからエティ・ヒルセムが自身の日記に記していた型破りな精神分析学者との奇妙な関係のこと。そしてセザンヌの絵を軸にして行き当たりばったりに書き始め、ふたりの登場人物のシーンを当てはめてみたんだ。セザンヌの絵よりも低予算バージョンでカップルはひと組だけにした。4組は私にとっては多すぎると感じだんだ。それにひと組のカップルで4倍の内容を描くことも可能だから。その関係性を輝かせるために必要な言葉は愛に違いないと思った。言葉と行動を具現化するために、動いている肉体を見失ってはならない。セザンヌもまさに書いているように「思考の中に肉体は存在しない」のだ。

それからは、脚本は湧き出るように形になっていった。セザンヌが全ての答えをもたらしたわけではない。自伝的なものよりずっと本質的であるべき認識。それはもっと確かなものでなければならないのではないか。そしてそれがこの “なぜこのふたりは争っているのだ?なぜ彼らにはこの儀式と化しているバトルが必要なのか?”というこの映画のポイントとなる問いかけとなっていった。意図という意味で考えると極めて曖昧なんだけれど、それを除いて言えば、この映画を撮ったのは何が彼らを争いから解き放つのかを見出すためなんだ。

「身体が上手く描けたとき・・・」という言葉以外に影響を受けたセザンヌの名言はありましたか?

基本的にはどの映画も、官能的でエロティックな交わりを直接的には表現していない。でもこういったものを描かなければ、居心地の悪さを生み、(省略することで)人間関係の自然な営みに反するものになってしまう。そういった関係を描けなければ、題材を損ねるリスクを増幅させることになるんだ。本作の意図は心、精神そしてセックスのすべてを描き出すこと。そういったものを巧みに避けるのではなく、探求する映画を作ること。(他者との)肉体的交わりのポジティブなブレンドだ。巧妙なごまかしは極力排除し、ひたすら探求する。私は頭の中にあるあらゆることをすべて詰め込んだ映画を作って、批判されることがある。今回はついに身体の中にあるすべてを詰め込んだ映画を作って批評を受けることになるんだ。楽しみだよ。

撮影現場ではひるむことなく肉体的なバトルを心がけた。彼らのバトルは決して馬鹿げたものではないし、いわれのない取っ組み合いでもない。単なるゲームとして始めたのに、彼らにとっては必要欠くべからざるものになっていくんだ。互いを知るためにはなくてはならないもの。なぜならもう彼らは言葉を通じてコミュニケーションをはかってはいないから。しばらくするとふたりともほとんど喋らなくなる。ふたりの間にある種の平穏をもたらすためには、肉体的なコンタクト、暴力そしてバトルが不可欠なのだ。それが彼らを解放へと導く。そう、それが彼らを解放するんだ。

撮影現場では危険なことはなかったのですか?

互いを叩きのめすようなことにはならなかったよ。ジェームズがまるでロダンの彫刻のような屈強なタイプだったのが良かったね。相対するサラが小柄で、肉体的には勝ち目がないのに、驚くようなエネルギーを発してくる。どちらが勝つかというようなバトルではない。危機に瀕しているのはもっと別のものなんだ。

でも確かに脚本上ではふたりはどんどん危険な状態になっていくから、気を付けなければならなかったね。撮影中、言いたくなかったのは控えめにということ。現場ではもっと激しくやるように指示していたんだけれど・・・。

シーンごとに区切って注意深く動きをつけていったんだ。俳優たちは実に素晴らしい演技をしてくれたよ。そしてその各プロセスの切れ目が見えないように繋いでいったんだ。殴るシーンはジェームズが腕を振り下ろすまでの動きを止めずに撮って、サラに青痣ができているショットで終わる。最も難しかったバトルは4,5テイクで収めるようにした。これ以上続けたら疲労のあまり危険だったからだ。私にとっても難しかったね。こんなに少ないテイクで撮影することに慣れていなかったから。だからリハーサルはたっぷりやったよ。ファイターである以外に(俳優たちは肉体表現の訓練を受けていた。特にジェームズ)、彼らは何をさておきアーティストだからね。ちょっと話は逸れるけれど、私はブソーニのアーティストの解釈にとても魅了されているんだ。曰く、アーティストは作曲家のインスピレーションを再現しなければならないというもの。ただそれは執筆という作業の中では必然的に失われている。

サラの直情的な部分とエネルギーはこの作品を支えているし、ジェームズはその相手役としての資質をいかんなく発揮している。私たちは素晴らしいチームになったと思っている。彼らに負うところが本当に大きかったよ。

PageTop